フランシス・フクヤマ「トランプは自らの国家安全保障戦略を覆している」

一貫性なきトランプを、フクヤマが批判的に分析する
木下ちがや(こたつぬこ) 2026.04.18
誰でも

Letterでは有力な海外の学者の論文を翻訳して紹介していきます。今回は『歴史の終わり』といった著書で世界的に著名な政治的学者フランシス・フクヤマが4月頭に書いたエッセイです。フクヤマはトランプ大統領を痛烈に批判してきましたが、今回のエッセイは、トランプ政権は「孤立主義」「アメリカ第一主義」が理念といわれているが、今回のイラン侵攻にはまったく一貫性がなく、トランプ個人的な利害に基づいているというものです。事実、MAGAとよばれるトランプを支持する勢力のインフルエンサー、学者からもイラン侵攻には強い批判があがっています。どちらかといえば保守派といわれてきたフクヤマが、ここまで痛烈な批判をせざるを得ないくらいに、いまの危機は深刻だということです。

フランシス・フクヤマ「トランプは自らの国家安全保障戦略を覆している」

 政権の動きに潜む一貫したドクトリンを、発言や出来事から推し量ろうとするのは外交政策の知識人たちの思い上がりだ。今や「トランプ・ドクトリン」などというものは存在しないことは明らかだろう。政権自身も昨年11月、トランプ政権第2期に向けた国家安全保障戦略(NSS)を策定するという形式的な手続きを踏んだ際、そのようなドクトリンを明確にしようとした。

 今や明らかだが、その戦略文書は実際の政権の外交政策とは何の関係もない。この国家安全保障戦略は、米国の戦略を西半球に集中させ、欧州の重要性を格下げした点で注目に値する。中東については、米国がエネルギーの純輸出国となったため、過去の政権が同地域に注力する必要はもはやない、と述べるだけに留まっている。イランについてはわずか2回しか言及されていない。1回目はトランプ大統領がテヘランとイスラエルの間で「和平」を交渉した事実を称賛するものであり、2回目は昨年の夏の米国の攻撃によってイランの核能力が「大幅に弱体化」したことを指摘している。イランの核開発計画が米国に対する脅威であるという議論はどこにも見られない。国家安全保障戦略はホルムズ海峡について、次のように言及している:

「米国は、ペルシャ湾のエネルギー供給が敵対国家の手に渡らないこと、ホルムズ海峡が開放された状態を維持すること、紅海が航行可能な状態を維持すること、同地域が米国の利益や本土に対するテロの温床や輸出元とならないこと、そしてイスラエルの安全が確保されることを、常に核心的な利益として位置づける」

 言うまでもなく、国家安全保障戦略文書は、米国がイスラエルと共にイランを攻撃することで、自らがホルムズ海峡の封鎖を引き起こし得ることをほのめかしているわけでは決してない。

 それどころか、国家安全保障戦略の冒頭部分では、米国が核心的利益の定義を絞り込む必要があることについて詳しく論じられている。そこでは、「戦略とは、評価し、選別し、優先順位をつけるものでなければならない。どんなに価値のあるものであっても、すべての国、地域、問題、あるいは大義が、米国の戦略の焦点となり得るわけではない」と論じている。さらに同文書は、過去の政権の戦略を批判している。それらは「願望や望ましい最終状態の羅列」に過ぎず、「我々が何を求めているかを明確に定義せず、曖昧な決まり文句を並べたに過ぎない」と指摘する。さらに、前任者たちは「我々が『求めるべき』ものをしばしば誤って判断してきた」と述べている。

 こうした主張は抽象的には理にかなっているが、トランプ政権がその後実際に行ったこととは何の関係もない。イランは現在、米国に対して直接的な脅威を呈しておらず、将来においてもその可能性は低い。確かにイスラエルに対しては脅威となっていると言えるが、イスラエルの安全保障を米国の安全保障にとって不可欠であると見なすことは、NSSが批判する「任務の肥大化」と同じ類の行為に他ならない。

 実のところ、米国の行動は、一連の原則や優先順位の体系ではなく、たまたま現在大統領を務めている男の個人的な利害や関心事によってこそ、最もよく説明できる。トランプの頭の中は、恨み、怒り、逸話、でっち上げの事実、フォックス・ニュースで聞いた話、そして自分自身が真実だと信じ込んでいる露骨な嘘でいっぱいなのだ。

 彼は第2期目の任期を、NSSが提唱するような外交政策の自制を好む姿勢で始めたように見えた。昨年夏、当初はネタニヤフに対し、イランへの攻撃を控えるよう警告していたのだ。だがイスラエルの首相はそれを無視してイランを攻撃し、トランプが断り切れない「一発勝負」の作戦の機会を創り出した。これに続き、1月初旬にはベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領を「拉致」する作戦が行われ、トランプはそこで大きな幸運に恵まれた。この厄介な作戦は成功し、ベネズエラの新たな指導者は従順であることが証明された。これにより、トランプは手元に信じられないほどの軍事手段があり、それを低コストで利用できるだけでなく、そうすることで称賛されるだろうと確信したようだ。

 ベネズエラ問題の後、あるインタビュアーから国際的な行動に制限はあるかと問われた際、彼は自分を止めることができるのは「私の道徳観」だけだと答えた。ネタニヤフは、イランもベネズエラと同じ運命をたどり、数回の攻撃で政権は急速に崩壊するとトランプを説得したようだ。当時、トランプは自身の外交政策に関する直感に絶大な自信を抱いていた。最近、戦争がいつ終わるかと問われた際、彼は「骨の髄まで感じる」(根拠はないけど絶対そうなるという意味:訳者)と述べた。

 外交政策のドクトリンは単なる学術的な関心事ではない。それらは、国を運営する機関、すなわち国務省、軍、諜報機関の活動を指導し、統括することを目的としている。国家安全保障会議(NSC)は、様々な見解を精査し、選択肢や将来の落とし穴に関する警告を、最高意思決定者に提示する役割を担っている。

 現時点では、これらの機関はいずれも正常に機能していない。これらの機関のトップには、国家情報長官のトゥルシー・ギャバードのような、トランプの機嫌を損ねないことで頭いっぱいのおべっか使いが就いている。トランプは、スティーブ・ウィトコフや娘婿のジャレッド・クシュナーといった使者に頼っているが、彼らには賢明な助言を行うに足る地位も知識もない。あるいは心の問題を抱えるピート・へグセス国防長官のような、道化じみた傍若無人な人物に頼っているのだ。

 政権の目標が何かを問いただす議員、ジャーナリスト、そして外国の指導者たちは、決して答えを得られないだろう。その目標とは、基本的にトランプが国内での自らの政治的立場を最も効果的に高めることができると信じるもの、そして自身や家族を肥やすための行動に他ならない。ある時は政権交代と「無条件降伏」を要求し、次の瞬間には、イラン政権はすでに交代したと説明し、さらにはイラン人が自分たちに代わって国を運営してほしいと頼んできたとまで言い出すのだ。

 世界最強の国が、明確な理念ではなく、一人の指導者の個人的な欲求によって導かれるというのは、決して良いことではない。「トランプ・ドクトリン」などというものは存在せず、その結果として、いかなる世界秩序の基盤ももはや失われているのだ。

(このエッセイの原文)

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