シン・ゴジラ公開10周年、あらためて論じてみる
大衆的娯楽映画と国民的心情
ゴジラシリーズは、総観客動員数は累計一億人を超え、テレビでも繰り返し放映されてきた。第一作公開は1954年なので、全ての世代が鑑賞し、おおよそのストーリーは知っている「国民的娯楽大作」と言えるだろう。
このシリーズは「ゴジラという巨大生物が太平洋沖から突然日本に上陸し、市街地で破壊の限りを尽くし、自衛隊、あるいは他の巨大生物と大立ち回りを演じ、海に帰るか、封じ込められる」という単純なパターンを、半世紀以上にわたって反復してきた。この反復に匹敵する映画作品は「テキ屋の甥っ子が、葛飾・柴又にある実家の団子屋にフラリと舞い戻り、大げんかをして飛び出し、旅先で恋をし、失恋してまた実家に舞い戻る」というパターンを49作品27年間にわたって反復した『男はつらいよ』シリーズくらいだろうか。
もちろん、パターンが単純だからこの作品が長く愛されたわけではない。このパターンのフレームを維持しつつ、その時々の国民的な体験と心情を投影してきたからこそ人気を博してきた。『男はつらいよ』シリーズには「高度経済成長によって消えていく古きよき日本への郷愁」という大衆的な心情が深く投影されていた。ではこの作品には何が投影されているのか。それを理解するためにはまず、1954年製作の『ゴジラ』第一作に立ち戻らなければならない。
『ゴジラ』第一作が描いたもの
わたしたちがいま生きている時代へと連なる生活感覚は、1950年代に形成された。1945年の敗戦で日本は壊滅的な打撃を被り、1947年に日本国憲法が制定され、戦後復興がすすむなかで公開されたのがこの『ゴジラ』第一作である。
この『ゴジラ』第一作は、「第五福竜丸事件」の半年後に公開されている。1954年3月に南洋のビキニ環礁近海でマグロ漁に従事していた第五福竜丸は、米国の水爆実験に巻き込まれ、乗務員たちは被曝し、乗務員が死亡する。その一カ月後に公開された『ゴジラ』のストーリーは、南洋で貨物船が原因不明の沈没事故を起こしたところからはじまる。当時、東京の築地ではアメリカの核実験の放射性降下物を浴びた「原爆マグロ」が地下に埋められ、各地の魚屋さんで「風評被害」がおこり、海産物の放射性汚染が騒動になっていた。はじめて姿を現したゴジラの足跡は放射性物質に汚染されていた。ゴジラは米国の水爆実験のショックで長い眠りから目覚めた古代生物であり、それが復興のすすむ東京に襲い掛かる。つまり当時の観客にとっては、ゴジラは架空の怪獣ではなく、戦争と原爆の記憶を、そして第五福竜丸事件という「二度目の被爆」の現実をつきつけるものだった。
1954年は、敗戦から9年後にあたる。『ゴジラ』第一作に登場する私生活をおう歌し、平和と繁栄を享受している若い世代にも被爆や疎開という戦争体験が深く刻まれていた。ゴジラはそれを呼び起こしたのだ。このモチーフには、敗戦直後、大陸からの復員途中に広島を通過し、原爆の惨状を目の当たりにした本多猪四郎監督の、戦争の忘却への抗いの精神が込められている。
本作は芹沢博士が秘密裏に開発した新型破壊兵器を抱え、ゴジラとともに海の藻屑になることで幕を閉じるが、同時に、破壊兵器を製造した芹沢が、わが身とゴジラを葬ることで「戦前と戦中」を断ち切り、「戦後」へとむけた人々の歩みを祝福する意味が込められている。この「戦争はもう嫌だ、原爆はもう嫌だ」という国民的心情が、日本国憲法が体現する「平和と自由」の価値観と結びついていったのは、まさにこの時代なのだ。
このように『ゴジラ』第一作は、当時の国民の戦争体験に強く働きかけた。他方『シン・ゴジラ』は、東日本大震災と原発事故を被った人々の体験を喚起し、さらにそれを『ゴジラ』第一作の世界につなげていった。
大震災・原発事故の記憶と体験
『シン・ゴジラ』は、冒頭から観客に「大震災と原発事故」の記憶を呼び起こしていく。東京湾羽田沖に出現したゴジラは、川崎市の呑川を、船を跳ね飛ばしながら遡上していく。これは大震災後の津波の情景だ。その後ゴジラは上陸し街を破壊していく。SNSで放射線量の増加が騒ぎになり、ゴジラの行動経路で放射線量の上昇が確認される。そしてゴジラ自体が巨大な原子炉であり、ゴジラにスクラムをかけ、冷温停止させるしか対抗手段がないことが判明していく。首相官邸前に数万の人々が集まり、「ゴジラを…」とコールをするシーンは、2012年頃に首相官邸前に数十万人が集まった「脱原発デモ」の情景そのものである。ゴジラの登場以後、SNSで情報収集し、逃げまどい、避難し、そして抗議やデモをする人々とは、紛れもなく3・11の震災と原発事故直後の「わたしたち」である。
ゴジラはいったん東京湾に姿を消すが、4日後、鎌倉・稲村ケ崎付近から再上陸する。東京都心へと向かうゴジラに対して、自衛隊は多摩川河川敷を最終防衛ラインに設定し、総力戦を仕掛ける。しかし戦闘車両は壊滅。現場指揮者の戦闘団長は「国民を守るのが我々の仕事。戦闘だけが華ではない。住民の避難を優先させろ」と命じる。戦闘よりも住民の命と避難を優先する自衛隊の姿がここでクローズアップされる。このシーンでは、大震災・原発事故の時の、自衛隊員たちの命がけの救援活動を想起させつつ、この後に登場する「米軍」のあり方と対比する伏線がひかれている。
大震災・原発事故から戦争・被曝体験へ
万策が尽きた日本政府は、米軍に攻撃要請をする。米軍は―住民の命と避難を度外視した―B2戦略爆撃機による絨毯爆撃を敢行。米軍による猛烈な爆撃を受けたゴジラは、背中からまるでサーチライトのようなビーム光線を上空に放ち、爆撃機をすべて撃墜し、さらに東京都心部の街を焼き払う。このシーンは、戦時下の1945年3月10日、米軍のB29戦略爆撃機の絨毯爆撃により10万人以上が犠牲になった「東京大空襲」を再現したものだ。ゴジラの光線は、対空灯火管制下で上空に放たれたサーチライトをあらわしている。
こうして本作は「大震災・原発事故」の記憶と体験から、「戦争・被曝」の記憶と体験へと遡っていく。
米国はゴジラに対する核兵器による攻撃を決断。「これは酷すぎる!」と外務大臣は拳を机に叩きつけるが、それでもわが国は米国による「三度目の」核兵器投下を受け入れざるを得ないのだ。数百万の東京都民の「疎開」がはじまるなか、これまで米国政府のエージェントであり、日米のダブルであるカヨコがこう告白する。「私は被曝三世である」と。原爆投下直後の広島の写真が映し出され、カヨコはさらにこう語る「祖母を不幸にした原爆を、この国に3度も落とす行為は、私の祖国にさせたくない」。
米軍による核攻撃を阻止するには、ゴジラを冷温停止させる「ヤシオリ作戦」を成功させるしかない。本作は、2011年の大震災と原発事故の記憶と体験を喚起し、過去の戦争体験と重ね合わせることで、ゴジラを原爆と原発という「二つの核」の象徴に高めあげ、そして「わたしたち」がこれからもこの「二つの核」に向き合わざるを得ないことを突き付けて、幕を閉じる。
日本国憲法は国民意識とともに
1947年に日本国憲法が制定されてから、70年以上が経過した。「時代が変わったから、憲法は改めた方がいい」という声も聞かれる。しかし『シン・ゴジラ』のメッセージは「時代が変わっても、変わらぬ記憶と体験がある」というものだ。『ゴジラ』第一作は日本国憲法の価値観が国民に定着していくなかで作られた。日本国憲法は「戦争はもう嫌だ、原爆はもう嫌だ」という国民的な心情をうつしだす「鏡」の役割を果たしてきた。過去の悲惨な体験と現在をつなぐこの「鏡」があるからこそ、本作は大震災と原発事故という新たな危機を国民的な体験をつむぐものとして表現できた。
日本国憲法も、『ゴジラ』のような大衆的娯楽作品も、おのおのの時代の国民的な記憶と体験に支えられてきた。憲法を単なる条文解釈にとどめず、歴史的・体験的なものとして捉える視点を『シン・ゴジラ』は与えてくれる。
日本国憲法は前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」と誓っている。この誓いをうち捨て、国民的な記憶と体験を忘却の淵に追いやろうとする政治権力の動きが強まるとき、『ゴジラ』は再び姿を現し、それを呼び覚ますのである。
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