本格化する高市政権のカリスマ支配

魅力を高める高市総理の先にあるのは、統治権力の変質である。
木下ちがや(こたつぬこ) 2026.09.24
誰でも

昨夜遅く僕のアカウントで「高市総理は魅力的である」云々のツイートをしたら、案の定朝起きたら炎上していた。「魅力的」という惹句がリベラル派の癇に障ったようだ。

こたつぬこ🌾木下ちがや
@sangituyama
高市総理の総理としての資質のなさを批判してきた僕ですが、正直、高市総理がどんどん魅力的に映るようになってきたことを認めざるを得ない。最初は初の女性総理ということだけで、しかも麻生太郎の傀儡であり、動揺と不安定さが露呈していたが、内閣改造を経て統治者然とした余裕がみえるようになり、
首相官邸@kantei
【お知らせ】<br /> 9月22日(現地時間)、高市総理は、国連総会において一般討論演説を行いました。<br /> <br /> ※スピーチ全文(速報版)<br /> (高市総理)<br />  議長、そして御列席の皆様、 https://t.co/JrOap7Biyn
2026/09/23 23:18
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このletterのエッセイではこのツイートの趣旨をよりときほぐして論じていくが、それにしても打撃的なつぶやき中毒になってしまった左右の極端な連中のリテラシーの低さは困ったものだ。では本題に入ろう。

以下の二枚の写真の、上は高市内閣発足時の記念写真、下は今回の内閣改造の記念写真である。

今回の内閣改造では有村治子、鈴木貴子らの女性の閣僚への大胆な起用がなされるのではないかといわれていた。ところがふたを開けてみると女性閣僚は片山、小野田の留任のみであった。発足時の写真と今回の内閣改造の写真を比べてみると、まず小野田が黒のスーツ姿に変わっている。ドレス姿の片山は遠ざけられ、そして黒服だった高市総理は金糸レース地張りの派手なドレスに変わっている。つまり「女性は総理ひとり(片山だけ邪魔)」という演出がなされている。今回の内閣改造では女性起用ではなく高市総理への「紅一点」の集中が演出された。このことは高市総理の魅力が高まっていることと不可分と思われる。

政権発足以来、高市総理はキングメーカーである麻生太郎副総裁と主導権争いを演じてきた。この攻防は今も続いてはいるが、かつての自民党のように派閥間の力学が決定的な力にならない官邸主導の体制は、麻生の力に制約を課しているように思われる。今回の内閣改造で高市総理は5人の官僚出身議員を古巣の閣僚に選んだ。ジャーナリストの蔵前勝久は、これを「省庁出身の閣僚を、官邸主導の政策を各省庁に通すための強力な回路にしようとしている」と捉え、こう論じている。

「高市氏のこうした手法が通じやすくなったのは、時代の変化があるためだ。かつては、派閥が入閣適齢期の政治家を官邸側に押し込み、その政治家の後ろ盾になった。派閥の領袖にすれば、自分が押し込んだ大臣が省庁の言いなりになれば、自分の顔が立たない。だから、出身官庁への配属は、派閥の側からも敬遠されがちだった。しかし麻生派を除いて派閥が解消された今、こうした懸念は消え、派閥に分散していた政治力は官邸に集約している。 高市氏は今回、アンケート方式で入閣希望を募り、自ら吟味して人事を決めたのは、象徴的だ。閣僚は必然として、総理総裁である高市氏の方を向く」(1)。

かつて麻生太郎は「選挙は政権を強くし、人事は政権を弱くする」と言ったという。選挙は動員であり、結束を強め、権力を鍛え上げるが、人事は「あちらたてばこちらたたず」だから結束を弱めるからだ。だが派閥なき官邸主導の時代は違う。「人事は政権を強くする」に変化したのかもしれない。2月の総選挙で高市自民党は圧勝した。だが麻生副総裁の権威は衰えることなく、高市総理、麻生副総裁の権力分立がその後の政治過程をつくりあげていった。だが今回の内閣改造は、麻生に一定の配慮をしつつも、総理への権力集中がすすんだといえるのではないだろうか。たった一人残った伝統的派閥主義者である麻生太郎は、たった一人であるがゆえに力を削がれていくのかもしれない。複数の派閥が織りなす均衡を麻生自身が壊したという皮肉な結果になるのかもしれない。

さてこうなると、これからが高市総理の本領発揮ということになる。野党の壊滅と派閥の不在がもたらす「余裕」がいまの高市総理の振る舞いから感じ取られる。ここが「魅力的」なわけだが、しかしこの魅力は、高市総理が「総理の器」に成長したからではなく、「総理の器」が高市総理のサイズになったことがら生じているのだ。「魅力的であること=善きもの」といっているわけではなく、総理の魅力に統治権力の変質がみてとれるといいたいのだ。高市総理のあり方が標準的な総理のあり方になることで、当然世論の政権に対する見方も変わってくる。支持や不満のあらわれかたも変わってくるだろう。

だとすると、「ポスト高市」の政権と与党はどうなるのだろうか。もはやかつての派閥中心の自民党には戻れないし、高市型の総理総裁をださなければ、自民党支配はまたたくまに崩れるかもしれない。 要するに高市総理が魅力的になればなるほど統治権力は変質し、いずれ支配のさらなる変質と不安定化を招くのではないだろうか。マックス・ウェーバーはカリスマ的支配を「法律や伝統によるのではなく、日常的規範を超越した預言者、英雄、革命家などの特別な力によって成り立つ」としている。自民党の派閥や野党のくびきを超越する高市総理はカリスマ性を帯びることになる。だがウェーバーはこうも指摘している。「カリスマ的支配は個人に依存するため、指導者の死や求心力の低下によって継続が難しくなる」。カリスマ的支配が終わる時、それを適正な議会制民主主義のシステムに引き戻すだけの政治的資源が、その時残されているだろうか。高市総理の立ち振る舞いに魅了されればされるほど、この先への不安が募るのである。

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