伊佐進一著『ミラーボールの政治学』外伝
はじめに
高市政権の発足から一年が経過した。この間もっとも大きな政治の出来事は、公明党の連立離脱と中道改革連合の結成、そして解体でしょう。そしてこの過程の中でもっとも知名度を上げたのは、公明党の伊佐進一衆議院議員です。youtubeの登録者数は20万人に迫り、リハックをはじめネット媒体での活躍ぶりは八面六臂。ヒラの公明党議員でここまで名が知られた人はいないはず。ネット時代の寵児たる伊佐議員がどこから来て、どこに向かうのかを書き記したのが本書『ミラーボールの政治学』です。
とまあ、ありていな書評の出だしを書いてみましたが、そのまま内容を逐次論じても面白くない。書評など読まなくても買って読めばいいだけですからね。というわけでここでは「外伝」を記したい。かつては日本共産党の活動家であった僕が、どこでどう公明党・創価学会と接し、伊佐さんを知るようになったのか。この経緯を書くことは、時代の変化のなかで変わろうとしている公明党を知るうえで意味があるはずです。そしてこの話は、国民民主党の足立康史参議院議員との出会いからはじまります。
組織人として
いまからちょうど3年前の2020年11月18日のこと。外出しようとしたときにスマホをみたら、池田大作創価学会名誉会長が亡くなったというニュースが飛び込んできた。慌ててニュースをチェックし、外にでると、近所の学会員がいたので少し立ち話をし、そのあと政治学者の中北浩爾さんと電話し「これで本当に戦後が終わりましたよね」と感慨深く言葉を交わした記憶があります。そこから数日は、手元にある創価学会関係の本を読み返し、公明党を含め、日本の政治はこれからどうなっていくのかに思いを巡らせていました。
僕自身の公明党・創価学会についての思い出といえばもちろん選挙である。学生時代、共産党の学生部隊として地域の団地に投入されたときの創価学会婦人部のみなさんとの「激闘」は懐かしい思い出である。いまから思えばお互い様な世界なのだが、あの活気に満ちた動員こそがザ・選挙であり、今のネット選挙よりもはるかに集団的かつ人間的で熱気に溢れていた。しかしながら時を経るなかで日本共産党は衰退の一途を辿り、野党共闘は党組織変革のチャンスではあったもののそれは叶わずますます権威主義的になり、硬直化したのは周知のとおりです。強者のための政党である自民党に対して、公明党、共産党は弱者のための政党だった。その一つが廃れゆくなかで、公明党がどうなっていくのかについて僕の関心が強くなっていた。
池田名誉会長が亡くなった報道の10日後、当時は維新の会だった足立康史議員と初めてあった。維新時代の足立さんと僕は宿敵であり、SNS上でたまに激烈な応酬をしていたが、足立さんが2022年の維新代表選に出たあたりから変化を感じていた。Twitterのスペースで「足立さんがどう変わったのか」を解説してみたところ、それを聞いた支援者が足立さんに伝えたらしく、一度会いましょうという話になった。その場には僕、足立さん、そして立憲民主党のある議員がいた。
維新の現状や政局について会話を交わしているなかで、足立さんがふと「木下さん、僕は京都大学時代に創価学会の青年部長だったんですよ」と話してくれた。なぜ、このタイミングで僕にそれを告げたのか、機微を察したのかもしれないが、それを話してくれたおかげで俄然会話がしやすくなった。そしてそれを聞いて、足立さんのふるまいに何となく感じていたものがつかめた。「ああ、この人は組織人(オーガナイザー)なんだな」と。
ここで創価学会あるいは共産党的に「組織人」と言ってしまうと、軍隊的に規律された人間像が思い浮かぶかもしれない。だがそうではなく、ここでいいたいのは集団をまとめあげる力のことである。僕も学生時代は学生自治会のリーダーとして、団交や集会に学生たちをオルガナイズした。オルグは強制ではできない。多種多様な意見を持つ学生たちそれぞれの要求や意見に内在し、その一致点を積み上げながら結集を図らなければならない。それは「正しいことをいえば人はついてくる」という形式知ではなく、指揮、号令、世話、面倒、付き合いが混合した集団の実質知である(いかなる組織も、この実質知が失われ、形式知に覆われた時に官僚化を遂げ、衰退していく)。この技法は労働組合、宗教団体、学生自治会でも変わらず必要とされる。そしてこの技法は経験しなければ習得できない。僕が学生自治会で、足立さんが創価学会青年部で経験したことは、組織の性格が違えど実質的には同類なのである。だから話が通りやすいのでしょう。同席した立憲民主党の議員は「足立さんと木下さんは、立場が異なるのに共通点を探り合いながら対話をしていた」と後に感想をくれたが、こうした対話ができる政治家はかなり少なくなっている。足立さんには攪乱者のイメージがあったが、実は人々に訴えつつ異論をまとめあげる組織人としての側面があることがここで理解できた。そして以後盟友となり、運命が導くかのように足立さんは維新を追放されたものの、国民民主党の参議院議員として再起を果たすことになる。そしてその後の足立さんのオルガナイザーとしての活躍はご存じのとおりである。
自由な挑戦者として
2020年代に入り、弱者のための政党である公明党と共産党は、ともに得票数の減少が加速していた。共産党が党勢後退を懸念する党改革の声を除名や排除によって握りつぶしていく一方、公明党・創価学会はかなり異なる対応をしようとしていた。身の丈にあった組織のリストラクチャリングに着手し、公明党=創価学会という関係自体を変える兆しがみえつつあった。2024年頃だろうか、初めて伊佐進一議員のツイートが目についた記憶がある。そこには「公明党は創価学会だけには頼らないでやっていかなければならない」という趣旨のことが書かれていた。「もはや創価学会の力量だけでは公明党は支えられない」というリアルな危機感とともに「創価学会だけではない幅広い支持層を獲得しなければならない」という模索がこのツイートには込められていたと思う。この頃から公明党・創価学会のYouTubeチャンネルは大幅に刷新され、かなり挑戦的な動画を投稿するようになっていた。2025年の参議院議員選挙で公明党は大苦戦し、複数区で伸長する参政党に追い詰められていた。僕は伊佐さんと旧知の足立さんを介して、「野党系の人たちに向けて参政党を落とすための戦略的投票を呼びかけたらどうですか」と提案してみた。それに対して伊佐さんから必死の返答が返ってきた。これが、最初の出会いである。
僕、足立康史、知り合いの政治学者全員、そして近所の飲み友達の公明党市議の桜田さんと、みなが一斉に声を揃えて「あり得ない」と断言していた公明党の連立離脱が、2025年にホントに起きてしまったわけだが、この離脱が起こりうる変化はすでに公明党・創価学会内部には生じていたのだ。そしてそれは組織的な衰退の危機に基づく生存本能の作用であるとともに、「自分たちは変わらなければならない」という意思と意欲にも裏付けられていた。したがって中道改革連合の結成を公明党の生存戦略のみで捉えるのは的外れである。むしろ中道改革連合の結成を梃子に組織の刷新を図ろうとしたと捉えるのが正確だろう。だから自己刷新を拒んだ立憲民主党とは相性があわなかったのである。今年一年、伊佐さんをはじめとする公明党のメンバーの方が、組織政党であるにもかかわらず自由闊達に異種格闘な論戦を繰り広げ、リベラルなはずの立憲民主党のメンバーの方が硬直して内輪に籠るというこの差異が生じたのは、身を捨ててでも刷新を図ろうとする意志があるかどうかに大きくは規定されていた。公明党の岡本代表が「中道改革がなくなったら政治家を辞める」と宣言して話題になったが、そこまで身を賭した発言ができる政治家は、立憲民主党側には残念ながらいなかったのだ。
本書『ミラーボールの政治学』は、変革を迫られた組織のなかからでた自由な変革者の台頭の軌跡の書であり、かつ組織的な経験こそが新たな国民政党をつくりあげるうえで求められていることを示す書として読まれるべきだろう。概して組織的であることと自由であることは対立的に捉えられる。だが、かつて集団が張り巡らされていた「組織化された社会」における自由と、現在のように社会集団が衰退し、「組織されていない社会」における「自由」はそもそも異質である。集団に揉まれていない「自由」はただの無責任な放縦であり、真の責任ある自由な精神は集団の試練の中で育まれ、変革に挑む者だけが手にすることができる。今の政治から失われいつつあるのはこの集団形成の技法である。それを取り戻すためには、公明党・創価学会が培ってきた経験と技法が必要である。それをより開かれたものにしていくうえで、伊佐さんの挑戦はこれからも大きな意味をもってくるはずだ。
おわりに―団地とJ.D.ヴァンス
さてこんな感じで外伝を書いてみましたが、最後に少しだけ本編に触れましょう。伊佐少年は1970年代後半に兵庫県宝塚市の市営団地で幼少期を過ごしました。40年ぶりに訪れてみるとこぢんまりした団地だったことに気づいたそうですが、僕も同じ時期に東京都板橋区常盤台の社宅団地で過ごし、あんなこぢんまりした世界のなかでいろんな遊びをやっていたんだなあと後に訪れて感慨を抱きました。
1950年代後半から全国で建設がすすんだ公営団地には、高度経済成長で地方から移動してくる貧しい人々が暮らすようになりました。地方の地域社会から切り離されて、孤独な都市空間のなかで新たなつながりを求める人々のうねりのなかで、創価学会や共産党は勢力を拡大していきました。1970年代半ばには経済成長に伴う都市への人口移動は止まりますが、移住者のなかから社会上昇していく2世が生まれてくる。家柄もない貧しい出自でありながらも、努力することで出世できるという回路がこの時代にはまだありました。伊佐さんはまさに東京大学に進学し、文科官僚になるというその典型例なわけですが、本書を読むと、貧しい幼少期から支えてくれた家族や周囲の人々との集合的な記憶を抱きながら、政治家への階段を駆け上がったことがよくわかります。伊佐さんが本書で頻繁に使う「伏線回収」、すなわち人生の岐路にある伏線は、努力次第でよい形で回収できるという言葉はまさに努力・勤勉で宿命を変えようとしてきた庶民の願いをいいあらわしています。
そして伊佐さんの本を読んでいて思い出したのは、アメリカ副大統領J.D.ヴァンスの自伝的回顧録『ヒルビリー・エレジー』でした。アメリカの衰退したラストベルト地帯からエリートの階段を駆け上がりつつも、家族と生まれ育ったコミュニティを忘れず、そこに立ち返ろうとするヴァンスの人生譚には立場を越えて強い共感が寄せられています(ちなみに僕の妻は左派ですが、伊佐さんとヴァンス両方に好意的です)。「大衆とともに生き、大衆とともにある」というスローガンは、かつては戦後民主主義の側にあるリベラルや左派のものでしたが、いまはヴァンスをはじめとする右派が唱えるものになってしまっているのです。
リベラルや左派を再建するためには、この物語を取り戻す必要があります。そのためには、その物語を語れる、「大衆とともに生き、大衆とともにある」政治家がリードしていかなければならない。伊佐さんにはその物語をつむぐ力があるのかどうか、ぜひ『ミラーボールの政治学』を読んで確認してみてください。

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